Takashi Ono

2002.07.12.fri.
いいものを作ること。いいものとは、どんな物のことか。いい品物。よいもの。例えば、商品の広告には、「使うほどに満足する」とか、「真似のできない高品質」などと、書いてある。確かにそういう物もあるかもしれない。けれども、触れてそうでない物も多い。「いい物」といわれている物の内訳がそうなってしまうのは、物の善し悪しの判断が、とにかく多様だからだろう。例えば「作る人」と「使う人」では、それを明確に区分してしまうと、判断の物差が違う。現実には、作る側と消費する側が区分されて、間に取引があって経済が成り立っている。経済や産業の発達に合わせてこのような分業が複雑に進化したのだろう。しかし、作ることに真面目に専念する人の作る物は、使い物にならないことが多いように思うし、使う側からの批評に長けた人は、それを作る喜びを忘れてしまっているかもしれない。作ったり消費したりする時、その局面にあっては、さしあたってその対極を考慮しなくても済むからかもしれない。ところで、単純すぎる図式かもしれないが、使う人のように作る人は、きっと、本当にいい物を作ると思う。そして、作る人のように使う人はたくさんの喜びを知っているのではないか。描く人はきっと見たいから、奏でる人はきっと聞きたいから、そうするのだろう。作りたくて作っている、描きたくて描いているなどというのはおかしな話だ。絵や写真についていえば、基本的にそれは見るためのものだ。描いたり撮ったりするために独立してあるものではない。見るために描く。このつながりを細く長く、強くつないでおく必要があるだろう。誰かが、見るために描く。その人の、見ることの経験のために。さしあたって、描こうとする人が、最初にすべきことは、やはり自らの目で見ることなのだろう。自らの記憶とか身体とか、経験のようなものをよりどころに(そうする以外に方法がない)、心地よい眺めを探す作業。だから、作品がオープンなものになるためには、あらかじめ作る側の眼差しがそのようになっていなくてはならない。こういうことは、恐ろしく単純なことのようだけれど、本当は逆で「単純で恐ろしい」ほどのことなのではないか。
2002.07.14.sun.
スタンドアロン。すたんだろん。荒んだろう。風の無い日、じっとしていても、汗が吹き出てくる。梅雨の終わり頃には、いつも、まとまって雨が降る。どこかで土砂崩れが起こったり。そして、むっとするような暑い夏がくる。その前に。重い、水に潜っているような湿った空気に、包まれて。昔のことを、ふと思い出す。すっかり忘れかけていた、10年くらい前の出来事が、もうろうとしなららも浮かび上がってくる。ここと、当時には物理的にどのくらいの距離があるというのだろう。この距離感は一体なんなのか。僕は、僕の穴の中でずっと年をとった。僕はいつも、僕の穴の中から、外を眺めている。自動的な僕の体に乗って。最近の技術の進歩は、スタンドアロンな人間をそうでないかのように錯覚させるからくりをうまくつくり出せるらしい。だけど、そういう装置に囲まれて、錯覚を錯覚として感じようとすることのほうがずっとスタンドアロン的じゃないだろうか。それを、意に反して結局のところ肯定してるようじゃないか。もっと日常の方が、すっ飛んで、接続して錯覚しているじゃないか。
2002.07.14.sun.
知事も知事だが、議会も議会だ。どっちもどっちだ。まるでテレビみたいだ。人間一人一人は、すばらしく、賢明でいい人のように見えるのに、なんで、大きな集団になると子供じみてまるでバカに見えるのだろう。だけどやっかいにも、子供というのはバカな癖に、欲求のままに行動して、時々大人に真似できないような、バカにならないことを考えたり発言したりする。それが妙に的を得ていたりする。そして、最も厄介だと感じるのは、大きな集団の人間は、小さな子供などではなく、「大きい」ために素早く身動きがとれないということだ。動き出したら簡単には止まらない。
2002.07
子供にやぶられた障子をはっていたら、紙が足りなくなって、一マス張り損ねた。立て付けたら、ちょうどサッシの鍵のところだった。座る角度によってベランダの手すりの線と、おもしろい具合に空を切り取る窓枠になった。障子のそこだけ、毎日表情が変わる。アルミニウムとガラス、鍵の機械的な感じ、外の景色や音、雨粒、干したふとんや雲など。木と紙に心地よく囲まれたそんなものの眺め。ちょうど、鍵の開け閉めにも便利なので、そのままにしてある。
2002.07.
昨日、行こうかどうしようか迷った挙げ句に、「ずく」を出して教室に行った帰り、思いがけず、町田さんに会うことになった。ひどく浅はかに聞こえはしないかということを恐れずにいえば、いずれにしても僕は、何かを作ること以外に、何に対しても、重要な意味合いを見い出せないでいる。ところで、こういう言い方は、どこか、無理して一人で突っ立っている感じを抱かせるものだなと思う。何かを作ることとは、出来上がったそれを「使う」ことに他ならず、製品というものは、一部の例外を除いて、最終的には、使われるためにあることは間違いないと思う。その、目的にかなった「使い方」で。当然ながら、この場合、製品とは物体に限らない。それは、仕事でも何でもいつも同じこと。そのときの酒も飲まれるために醸造され、蒸留され、貯蔵される。その次の日、やはり同じことを思う。それは、人や自分に対して、失礼というか不遜な考えだろうか。失礼なのかもしれないが、やはり僕は、それ以外に意義を見い出せないでいる。今は。かつて旅行に行ったことを、ふと、思い出したりしながら。それでも、なおのこと。時間を、あちらこちらに、折り畳み、広げたりしながら。ついさっきの、「その次の日」のことも、遠い、過去のような、未来のような出来事のように、あちらこちらに転がしながら。僕は、たまたま、人間の男で、こういう風貌の体や顔をした。家族の寝顔を見ながら、やはり、先ほどと同じようなことを思う。しかし、僕にとっての時間は、かつてより、大分、幅のあるものになった。やがて僕は死ぬけれど、生まれた前と、死んだ後の、その前後に多少の振幅を持った。でも、やはり、人間とは、どんなにか重要な意味をもつ、存在というものが!存在というものが!
20020914sat.
大分前のことになるが、コンピュータを買い替えて、付属の特殊なマウスを使っていたら手首がひどい腱鞘炎になり、ずいぶん苦しんだ。これではたまらないと、マウスの代わりにタブレットを買った。しかし、そのいわゆるデザインがどうしても気に入らなくて、なんとかならないものかと、ふと思いついて買って間もないそれを分解してみたら、中身は以外にも単純で、一枚の薄っぺらい基板が入っているだけだった。外側の、恣意に満ちた造形に比べて、なんとも清々しいものだと思った。このままむき出しで使うのは無理なので、自分で、最低限のものを作ろうと思った。フリーウエアのCADを使って、基板を、理にかなった方法で包むためのシェルを設計しようと考えた。まず、基板の細かなサイズをできるだけ正確に測定した。それから、メカニズムを推測して、多分、重要なノウハウがつまっているだろう、デザインされたケースの裏側とか、コネクタの接続部など、細かな部分のサイズを測定した。そうしているうちに、基板の側から(基板に接する部分から)、まさにそれを包むように、純粋に、築き上げて設計するべきだと気付いた。使える加工技術や材料には限界があるし、それ以外にも何かと時間とか金とか制約があるので、出来上がったものは、多分今のものよりも使いにくいものになるのだろう。けれど、理由のないものを眺めるよりはましだと思った。出来上がったCADファイルをメールに添付してサービス会社に送り、数日待つと、その通りにカットしてくれたアクリルの板が数枚届いた。炭酸ガスレーザーであっという間にカットできるらしい。データがちゃんとフォーマットされていれば、それをプリントアウトするような感覚で、プラスチックの板が切断されてしまうのだ。当たり前なのだけれど自分が作った図面通りの現物に、単純に感心した。新型テクノロジーというものは、とりあえずそれだけですごい。(が、慣れればそれが当たり前になるのも早い。)アクリルの板を重ねて、その中に慎重に基板を納めた。静電気が問題かなと思ったが、今のところ大丈夫のようだ。例えばこのタブレットのメーカーのデザイナーは何人くらいが仕事をしているのだろう。一度、大きくて複雑なシステムを使ってしまうと、かえって単純な線は描けなくなってしまうのだろうか。
20020927
先週末、岡崎乾二郎の個展を軽井沢セゾン美術館に見てきた。上の子が風邪で高い熱を出したので、行けないかなと思ったが、下の子が居ない方がゆっくり休めそうだということ気付いて、妻とぐったりした上の子を残して、下の子と二人で出かけた。途中渋滞にはまって、もし愚図ったらあきらめて引き返すことも覚悟したが、下の子も外に出ると、家にいるよりは退屈でないようで、ずっといい子にしていて、なんとか目的地に辿り着けた。下の子の、家で母親にべったりの様子を見ていると、とても、二人だけで長時間外出することなど想像できなかったが、案外やってみると、むしろその方が楽だったりした。そういうことはよくある。喉元過ぎれば・・、という諺もある。現実は非線形だ。簡単に予測できないものだ。平面作品は、写真で見るより軽快な感じがした。アクリルの質感のせいだろうか。それが却って、絵面に隠された仕組みの高度さというか、奥行きの闇深さみたいなものを、いっそう引き立たせているような感じがした。眺めていると、幾つかの別な次元のからくりに気が付く。そして、一旦そのような、一種の画面上の「亀裂」、さらには「亀裂の亀裂・・・」のようなものに目がいってしまうと、それ以降はもう表面(絵面)を単純に眺めてなどいられなくなる。最初に見えた、理知的な感じの色と色、絵の具と絵の具、余白と余白の関係の仕方のようなものは、いったいどこへ行ってしまったのか。見ているのに、見えない。次から次へと、注視の対象がズレて行く感じ。そして、見終える直前に、見通しきれない、合わせ鏡の無限のようなものをチラと見たような記憶が、そんな気がして、次の作品へ。正確には、次の作品に目がいった後に、「あれは・・・。」と事後的にそんな風景を見たような気がしていることに気付く。「おかちまち」、「あかさかみつけ」といった立体作品。一見やんちゃに見えもする、これらの作品から感じるのは、自然に生えてくるような感じ、厳密にはそれとは大きく違うが樹や生物の造形のように、何か遺伝的な要素によるような。厳密には違うけれど。パネルを切断した、その切断された形態が清潔。心地よい、囲い込み。とても清潔な感じ。理想的。明確な理由がある。
20021019sat.
イメージ。最近のデジタルカメラは1600万画素?だったか、160万円だったか、忘れたけれどかなりすごいらしい。そういう技術はいつまでも発達するのだろう。それにしても、僕が写真を見て圧倒されるのは、なによりもその存在感だ。写真において、「紙」と「粒子」は決定的に重要だと思う。出来上がったプリントはいつも新しい現実であり、体験だ。新たな現実としてのイメージ。そのへんに転がる、石ころのように眺めることを許さない写真であれば、何かが足りない気がする。
2002.11.29.fri.
本棚の前に立って、ふと、昔の展覧会のカタログを手に取ったりした。驚くほど稚拙に思えるのは当たり前として、当時の自らの置かれた状況とか生い立ち、身体的な前提などがそのまま反映されたものとして、作ったものやその過程がごく自然なものに感じられた。それは、全く自然なことだ。どうしようもないことのようだ。湿った地面に苔がはえ、乾いた砂漠に蠍が歩くような。そこで、わたくしの自由はどこにあったか。どこにもなかったように感じられた。やむを得ないことのようだった。しかし、僕にとっての自由は、そういったもろもろのこれまでに連なる事柄を、どう扱うかということに関して、ぎりぎり残されてある気がしている。それをどうにかしなくちゃならない。というより、どうにかする自由が僕にはある。年齢と、作品の品質とか到達点いうものは、相関するだろう。なんでも続けていれば知らずに熟練としてしまう。やはり、何かを作り込むことより、眺めることの方がずっと難しく、順番としては、眺めるためのいわば訓練として製作がある。
2002.12.07.sat.
電車の中で、写真の入ったビニール袋を窓枠に立てかけて、このまま忘れていったら、と考えた。高校生の自分がふと見つけて、これを眺めたら。ある種の強い印象はあるかも知れないなと思った。
20021207.sat.
写真というのは、単一で薄っぺらな眺めにとどまらない構造を持っていて、それを撮影したり、現像してプリントしたり、仕上がったものを再度眺めたり・・・、一連の眺めが一つの平面上に折り重なって、物理的な紙なりプロジェクタなりデータなり、何なりに載せられたものとして、最後にある。イメージそのものにも、何らかの物語があり、そこから別な次元に連れ去られることなどを考えると、立ち現れ方は更に複雑で、多様だ。眺めの成立には、それを眺める側の要素も関係し、一度、固定したイメージも、時間とともに移り変わる。
ここでのイメージの未来については別として、僕は、一連の眺めの連続の、今現在に最も近い最後部分に注視点をおきたいと考えている。だから、どんな様式で提示されるかというのは大切な問題になる。紙なのか、モニタなのか、記憶(?)なのか。
ところで、写真の構造において、最初から最後まで一貫して眺めに立ち上がってくる強いイメージというものがある。その存在感は眺め全体の大きな部分を占め、眺め全体を大きくしたりもする。そのような強いイメージは、僕の写真でのささいなねらいを助けたり、意図せず阻害したり、理由のようなものを準備したり、全く関係なかったりする。僕としては、できるだけ関係しないで済むようにしている。そのつもりでいる。そうすることで、イメージの最後の部分そのものがより強くなると思っている。
しかし、結局のところ、僕の今のやり方では、そのようなポーズにはだいぶ無理を伴うようで、つまるところイメージにはがんじがらめの状態である。僕のねらいのようなものならば、もっと別な、理にかなったやり方で、ほかの誰かが鮮やか実現しているようだ。方法を変えた方がいいのかもしれない。でも、といいたいが、だって、だったり、だから、になってしまったりしている。さて、そこで。
コンセプト。かつて僕は、表現したい具体的な何かがあるわけではないと言った。それは今でも変わらない。しかし、作品は何かを表現してしまう。写真が何かを写してしまうように。そのことに対して、それは知りませんでした、それは意図しておりませんとは、ひとまず言えない。提示に先立ってあらゆる可能性を精査しておく必要がある。作品が、鑑賞する者の前で何かを表現してしまう以上、コンセプトは何々だという言い方は成立するばかりでなく、提示する以上それは要請されている。
僕の作品であればそれは、作品が出来上がった時点で新たに始まる何か、と言えば、言い訳みたいになってしまうだろうか。僕は、作品を作ってそれを提示しているにもかかわらず、本来的には、作る人間でなく、見たり聞いたり受け止める側の人間のままでありたいと考えているのだ。
僕の作品の制作は、だから、視覚的な作品であれば「見ること」で終了する(当たり前かもしれないが)。何かを意図して作っても、見て何もなければ失敗でリジェクトされる。逆もある。何を見ることで終了するのか。作品を提示する行為の最終的なねらいのことを考えれば、「私が見ること」、そのものでありたいと考えている。
それは、いつも成立するようでいて、必ずしもそうではない。僕の作品である以上、僕が見ることで制作は打ち切りになるわけだけれども、どんなに切り詰めても、作品には、僕自身の純粋な眺め以外のものが必ず残さとして残り、それが多くの場合却って雄弁であるように思える。最初に言ったように、それは僕の意図を助けたり、邪魔したり、理由のようなものを与えたり、無関係だったりする。しかし、時に僕は、半ば開き直ってしまって、それはそれでいいと思う。要するに、これは「私の見ている眺めです」としか、いいようのない眺めを、ただ単に提示する(している、と言う)ことはできる。
だがしかし、果たしてそれで「作品」足りうるのか?「お前の眺めをそのように提示するなら、お前というものはそれほど特別なものであるというのか。」。ある意味で、そうであるし、そうではない。
この際、ただの一人の普通の人間であって一般的に言う特別なものでないことが、重要と思う。そう認識する立場に立つことで、はじめて「個の人」足りえ、作品として提示し得るものとなるのではないか。そのような「私の眺め」を提示する行為によって、逆説的にそのような立場を指し示し得ていないか。
僕が提示する私の眺めはありふれていて、珍しくもなく、特別美的に価値もない。誰にとっても、そんな眺めはあろうはずだし、最近ではpcのお気に入りフォルダに、いくらでもストックがあるだろう。だがしかし、幾分こじつけにすぎるかもしれないが、それを提示「し得ず」して「作品」はどこに残されているだろうか。とも、考えたりする。20021210.wed.
独学でヴァイオリンを作りはじめ、世界に5人しかいないマスターになった在日韓国人のことを、テレビのバラエティー番組で放送していた。独特な話し方。彼にしか分からないはずの世界。個人の問題。バラエティー番組が、はたしてそんな問題を扱うようになったのだろうか。僕が知らなかっただけで、ずっと今までもそうだったのだろうか。しかし、考えてみれば、バラエティー番組を作ったり、そこに出演していたりする人はむしろ、テレビの前でそれを一般的に眺めることしか許されない大衆には想像しにくい個人の問題を、常日頃思いやすい立場にあるのかもしれない。私はテレビに出ていてすごく有名だけれど、私・・。ところで、僕は、「普通」というごまかしが、がまんできない。それでうまく物事が進んでいくと考えられている一般が許せない(それは、今となっては必ずしもそうではないのかもしれないが、ある限定した社会の中では、多かれ少なかれ、そのような一般が通用すると思う。そういう次元があると思う。僕はそのことをいっている。)。ならば、どうしたら「変人」の彼を信用するのか?僕の考えでは、ただ信用すればいいだけのこと。理由など必要ない。これは信用することそれ自体の本質的な特徴ではないのか。最後の最後には、信用するということに飛び込む以外にない。着地はどうなるか。踏み切る瞬間には保証されないことを十分知る以外にない(そう思うのは、思い過ごしか。少し、気が変になっているのか。)。ルールに従わない人間は、その限りにおいて、その社会で徹底的に排除される。「普通」というルール。「普通」は「常識」と言い換えてもいいだろう。しかし、仲間意識の強い人間ほど自分勝手だったりする。僕は、そういう状況に立ち会ったとき、意固地になって、非常識を振舞ったりすることがある。「仲良し」というものの排他性が気になって仕方がない。同じ考えなどというものがあるはずがない。考えが合うなどという完全な誤解(そういう場合もないことはないのだろうが、そうであることを前提する態度と、そうでない態度とでは、世界観が決定的に違う)。彼と僕が同じなどということはもっと宇宙的な観点に立たないと成り立たないのではないか。であるにもかかわらず、隣近所で同じとか違うとか言っている。違うなどというこことははじめから解りきっているのにも関わらず。ある社会の全体が結局こんな風だったりもする。そして僕は、たった一枚の失敗写真に、心底救われたりする。どこかの本で読んだけれど、僕のこのような考えは、その社会で不都合なく生きることを考えれば、「死」に向かいやすい考えだと思う。実に自分を生きにくくする。子供達の生存本能はしっかりしていて、そんな父親を「頼りない」と思ったりするかもしれない。もうちょっと年をとった他人の子供達も、だいぶ退化したそんな本能を頼りに、悪くはないと思っても最後にはついてこなくなるかもしれない。まだ、バラエティー番組の方が信頼できると。考えてみれば、バラエティーという言葉自体にそんな雰囲気があるじゃないか。
20030211
イヌイットの集落にとってクジラはとても重要な生活の糧となっているらしい。海獣の毛皮で作った5、6人乗るのが精一杯というほどの小さな船を使い、流氷の割れ目をさまようクジラに静かに近付いて、銛で仕留めるのだという。船を転覆させられて海に落ちれば、間違いなく数分で凍死するであろう、命をかけた危険な作業。うまく仕留められ村に持ち運ばれたクジラは年長者の指示のもとに解体される。皮下脂肪の厚い皮の部分が最も重要なのだという。丁寧に、無駄なく処理され、集落の全員がその恩恵を受けられるよう、配分される。僕が読んだ本には、切り分けられ、雪の上に丁寧に並べられたクジラの分厚い皮の写真とともに、そのようなことが書かれてあった。いろいろなことを思った。命がけでクジラをしとめた船の乗り組み員や船長は、クジラの所有権を主張し、自分達の取り分を他より多く欲しいと言わないのだろうか。巧妙に怠けて漁に出ずに、公平な村のシステムに依存して分け前だけをもらおうとする人間はいないのだろうか。命に関わる危険な漁ならば、あえてその危険を自ら冒さないことのほうが、生き延びるチャンスは増えるのではないだろうか。そのようになりたくはないと、自らの自由のためにあっさりと命を落としてしまった若者、そのようにして恋人や家族を失った人間はいないのだろうか。はては、有利に分け前をもらえるように、解体を指示する年長者やその関係者に密かに取り入ったりする人間はいないのだろうか。このようなことは、ないのかもしれない。あるいは、あるのかもしれない。(ないとするならば、僕のこのような想像は、何によってもたらされるのだろう。)あるとするならば、そのような事実にはどんな意味があるのだろう。今は、そのようなことはないのだろうと思っている。あったとしても頻繁ではなく、集落にとって深刻な問題ではないのだろう。なぜならば、本にあるようなイヌイットの集落が事実として存在しているからだ。そのようにして想像するイヌイットの小さな集落はとても美しく思える。このような小さな美しい集団にあっては、個人は、広くゆったりと、他者と重なりあうようにして存在することが、ひょっとして可能なのではないだろうか。個人がないというのではなく、そのようにして確固としてあるということ(もしも、イヌイットの集団に個人がないとするならばこれはまた、別な話になってしまう)。「重なりあうように」という部分は正確に表現するのが難しいが、集団の中で個人が互いに埋没するように離れてあるのではなく、大きく広がって関係しあうようにあるというような意味だ。そんな社会にあっては、おそらく他者の痛みというものが、ただ解るというのではなく、実際に自らの痛みとして認識することができるのではないか。ただし、個人同士が強く繋がっているということではない。複雑に関係しあっているのは確かだろうが、そういう具体的な意味での重なりあいではなく(どんな社会でも個々の個人が全く関係しあわない社会はないだろう。社会のなかにあっては個人同士は関係しあうものだろうから)、例えば、ある出来事の認識を共有するというような意味だ。物質的なつながりでなく、認識の共時性というか、そのような感じのもの。単純に同じ価値基準によって、判断するということでもなく(それでは、交通法規を守るのと同じことになってしまう)。もっと、基礎的なレベルでの認識の共時性のようなものをイメージしている。そんなものが実際にあるのかどうか、解らないけれど。多分それは、個人の問題だと思う。個人が個人にすっかりとおさまった状態では成り立たない認識のスタイルだと思う。個人が適当に開かれた状態でないと、重なりあうように個人が存在できない。しかし、このような集団はモデルであって、実際にはその集団の外にも別な集団(国家や民族、経済など)があり、それらは完全に他者として別個にある。そのような集団同士がある程度以上に近付けば、互いの存在を脅かすような何か大きな問題が起こるかもしれない。これが現実だ。だから、イヌイットの集団を見る時には十分気をつけなくてはいけない。僕らはイヌイットの世界にのみ生きているわけではないから。彼らの生活、システムをただまねるだけでは、同じ目的を達成できない。
20030423.wed.
妄想、妄想、妄想、妄想、もうそう。もうよそう。もようそう。めっそうもない。近頃の私と来たら。忙しすぎる不本意な出来事に気が狂いそうだ。ほとんど眠るように毎瞬を過ごす。異常が過剰になり、平衡して通常になることをナノセコンドなループに繰り返している。僕はまえからずっと「ここ」に居るような錯覚に陥りそうになる。その錯覚であること全体が実のところ錯覚のなのか。はてさて、そして今度もやはり、たった一枚のモノクロームプリントにおける畳と床材の、現像したばかりのような湿度を維持した色合いによって、瞬時に、正気に戻されたりする。そんな、生まれて初めて虹を見た子供のようなことを言ってばかりもいられないことはよく分かっている。
20031108
世の中がおかしいとよくいわれる。しかし、おかしいのは世の中か?世の中は以前に比べて、そこそこうまく機能するようになっているのではないか。おかしいのは、もともと人間の方で、比較的まともになった世の中が、おかしな人間の行動を正直に反映するようになっただけのことではないか。年をとった大人たちは、かつては良かった今はおかしいというだろう。しかし、僕の感覚ではこれは変だ。単にむかしは、世の中がいい加減で、いい意味でも悪い意味でも「ごまかし」が利いたのだ。おかしいのを、世の中のせいにしてはいけない。おかしいのは私であり、あなただ。そして、本来的にはそれを全く知らされていない子供たちだ。年をとった大人たちはいわば、乱暴な子供のままおとなになっていられたのだ。子供たちよ、乱暴な自分をうまく手なずける必要がある。自由のために。
20040131
録音した音を、日常の、聞き返すと。一方向の時間の、スポンジのような隙間だらけの、僕の認識。優れたカメラのレンズが写す映像は、全てに美しく境界が示されているけれど、人間の目はとてもそのようには眺めることができない。これはしかし、生きる知恵なのかもしれない。僕は、ほとんどの出来事に気付かずに過ごしている。そうとは気付かないままに。一方向の時間は二度とは繰り返すことが出来ないので、仕方のないこと。繰り返すことは出来ない。泡と泡が接する部分。僕の体が隙間だらけであるように。それを、緻密と感じている。僕が病気にかかりやがて快復して、そして僕の体のうちと外とがあるように。
20040311
僕の写真は、一人の、どこにでもいる個人の、個人的な眺めでしかない。取り立てて珍しいものは写っていないと思う。それはきっと多くの人の「私個人」のそれに重なるものでもあろうと思う。しかし、だからといって、(私個人の写真は)それを示すことで、「私個人」を端的に表出させよう(表出している)ということではない。それは避けたい。しかし、どうしてもそれは、私個人の、眺めである。うまくいくのかどうか、わからない。しかし、こういう考え方は、私の自由と深く関係しているように思う。家族を写す。身の回りを写す。音に録る。こういったものに関心を示さないでいることはできない。なんとかするしかない。僕の周囲のあらゆる事ごと。多分、イメージの方法次第では、遥か彼方のここにいる自分の後ろ姿を見つめることも出来るのかもしれない。

小野剛史

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